1月25日までの人生について

さて一体何から書こう。文章をいきなり書き始めるのは難しい。

とりあえず卒展のこと、それに取り巻く大学でのことや制作のことについて一旦書こうかな。

この2ヶ月ほどはずっと制作をしていた。正確には本腰入れ始めたのは12月からだったと思う。10月と11月はとにかくアトリエにいるのがストレスだった。あまり自分の感情を出さないように殺していたからあんまりこの頃の記憶がない。

とりあえずスーパーオープンスタジオが終わり、ちゃんと卒制が作れる時間と精神になったんだ。それまでは長嶺さんと朝永の目が気になりすぎてツイッターもインスタもろくに言いたいこと言えなくて、だったらブロックすればいいじゃんと思いブロックした。なんでこっちが萎縮しなきゃいけないんだろうって気づいた。

アトリエでもなるべく話さないように、目を合わさないよう心がけた。常にイヤホンをして誰とも喋らないで1日を過ごした。当然かなりのストレスだった。このころはツイキャスで配信者の喋り声を聞くことだけがストレス解消だった。

 

長嶺さんを嫌いになったきっかけについて話す。

これがきっかけという事ではないが本当に嫌だなと思う事が何回か続けてあり、この人とはもう一生話したくないなとまで思ったりもするくらいになってしまった。

最初は確か児玉君がアトリエに来たときの日。川上君や佐藤の話をしていて、長嶺さんは川上君の搬入などは手伝っていたのになぜ佐藤には手伝いをしてあげなかったのだろうかと疑問に思った際に返って来た長嶺さんの返答が意味不明で、すごく不信感を持った。深くは聞いていないが、川上君が贔屓にしていた赤帽の業者さんが亡くなったから、当別な事情なのだ。みたいな言い方をしていたと思う。

それがそうだったとして別に良いんだが、佐藤を手伝わない理由にはならないし関係なくねえかと思った。彼女の絵を運ぶことがそんなに面倒臭かったのだろうか。朝永には毎日家まで送っているのに、よくわからない基準で動くんだな。佐藤に作家としてのプロ意識を持って欲しいみたいなことも言っていたが搬入の方法にプロ意識を求める意味が全然わからなかった。知り合いやパートナーの絵を車で運んであげることなんてプロでも普通にあることでしょ。

 

その前に、みんなであいトリに行く計画の時も嫌なことがあった。

これはしょうがない気もするど、あまりに長嶺さんがこちらをぞんざいに扱うので腹が立った。最初、長嶺さんが水戸芸へ行こう。と誘って来た。メンバーは今の所伊澤と俺。大竹伸朗を観に行こうという話だった。予定の日がちょうどトウドでのグループ展の前だったから少し悩んだけど、あいトリなら行きたいですねと私が言った。

長嶺さんはじゃあ愛知行くか、みたいな事を言ってあとで日程調整するかという話になった。長嶺さんたちは何泊かしたいらしく、私は早くグループ展の準備がしたかったので1泊が良いと言っていた。そこで私が無理やり予定を空けて行けるように調整していたんだけど、もう工藤朝永押さえて4人で行くことになったから、と言われた。ふざけんなと思った。あいトリは結構マストで見たくてでも遠いからなんとか良い方法で見にいけないかなと思っていた矢先だったのでこちらは行く気満々だったのだ。それが勝手に断られて無くなり私はありトリに行けなくなってしまった。悲しかった。あいトリに行こうと言ったのは私だったんだけどな。結局一緒にいて楽な朝永を取るんだなとちょっと思った。もともと日程が合わなかったからしょうがないんだけど。結構ムカついた。

あと発言でいうと、時山が真面目じゃない、本当は良い人なんかじゃないんだって事をもっとみんなに知って欲しい、と長嶺さんが言っていた。私の目の前で。

ああそうだよ、って思った。私は良い人ではないよ。でもそれはあなたも同じだし、私が良い人じゃないという事をみんなに知ってもらって何がしたいんだろうと思う。

私のことをブログに書いていたのもムカついた。

私と工藤が長嶺さんのことについて話していたことを話したら不快だったらしい。そりゃそうか。確かに良いことは言ってない。ただ言われるだけのことを長嶺さんはしているんだよと自覚して欲しい。自分のやったことを棚に上げて他人からの批判には人一倍口うるさくて、かなりうんざりした。

決定打になったのは、石居さんと万代さんが大学に来たときかな。スーパーオープンスタジオで出す陶芸を取りにアトリエに2人が来ていた。ちょうど高橋さんもアトリエに来ていたタイミングで、ちょっとまずいなと思っていたけどそんなに目立つこともなく少し談笑しながら私のブースで陶芸を梱包していたつもりだった。梱包が終わり、2人が帰ったあと長嶺さんに呼ばれ言われた。あいつらうるさすぎる。男の笑い声ってまじで不快、石居真信と万代、あいつら出禁な。と私に向かって真顔で言われた。は?と思った。実はそのとき、川上君もアトリエに来ていてみんなで話たりしていたところだった。アトリエに外部の人が来てっていうのは多少気を使うのだけど、川上君が許されてこちらの談笑が許されないのが意味わからなかった。多分、石居さんと万代さんがいるちょうどそのとき長嶺さんは高橋さんと話していたタイミングだったらしくそれは申し訳ないなと思ったけれど、そこまでうるさくしている事はなく会話の邪魔にはならない声量で喋っていたはずだ。実際長嶺さん以外の人からは誰にも何も言われなかった。高橋さんにも。あいつら誰?とも聞かれなかった。長嶺さんはなぜうるさいことを私に言ったのだろう。そう思ったなら本人たちに直接言えば良いのに。

本当の決定打があったことを思い出した。長嶺さんと2人で帰った時のことだ。上記のことが重なり、かなり長嶺さんのことを不信に思っていたが久しぶりに話してみようと思い、家まで送ってくれないかと長嶺さんに頼んだ。長嶺さんは疑問に思っていそうだったが承諾してくれた。長嶺さんと話すとだいたい美術の話か、どうやって生きてお金を稼いで行くか、という2択の話題になる。それもだいぶネガティブ寄りの。私はラインのグループも確か抜けて長嶺さんと話すのも久しぶりだったので色々みんなのことも含め今どうなっているのか聞いた。結局制作の話になり、私がしたグループ展の話などになった。長嶺さんは結構私の活動を懐疑的に見ているようだった。そんなに展示とかしてて大丈夫?って言われたと思う。最初意味がよくわからなかったけど、制作してなくて大丈夫か?って意味だったらしい。正直そんなこと言われると思ってなくて驚いた。そんな否定的に見てるんだと。修士1年の頃なら良いけど、今の時期は制作した方が良いぞ、大事な時期だからな、と言われた。今思えばその通りではあるんだけど、旅行しまくりの長嶺さんには言われたくなかった。私のグループ展も見に来ていないのに、ギャラリーの批判をしてきてムカついた。あのギャラリーの方針には賛同できないとか、このキュレーションが良くなかったな、とか。私の周りにあるものをことごとく否定してくるなと思った。逆に外部のどこでも展示していない長嶺さんを心配するくらいだ。2年間学外での関係築いてなさすぎじゃないですか?まじで2年間何してたんだろうと思ったりする。あとは石居さんの病気のことを馬鹿にされたりしてムカついた。というか爆笑された。まあ良いんだけど、勝手に笑っててもらえば良い。

 

以上のことがあり長嶺さんと縁を切ろうと思った。卒制までは。

あと気持ち的に引いた発言などはいくつかある。

卒制の壁たてでの話について。どこまで割り勘するのかという話で、倉庫にする壁と朝永の壁の高さを揃える木材は割り勘にするとして、さらにプラスで朝永と長嶺さんの間にでかい壁を建てる予定でそれもテキスタイルの人と割り勘にしようとしていて引いた。割り勘についてちょっと否定したらなんでだよ!と長嶺さんは怒っていた。自分用に建てる、しかも一番デカくてお金がかかる壁を割り勘にしないのは当たり前だろう。

あと新宿での飲み会の時。店を出たあとみんなで帰るかぶらぶらしているタイミングで早く帰りたかった長嶺さんが安西ちゃんとかにいじられていた時、そんなん強く主張したもん勝ちだろ!って言ってて引いた。

あと今日も私だけ谷保駅で車から降ろされて悲しかった。長嶺さん、ずっと私が早く降りねえかなって思ってるだろうなと感じたけど。

 

今日バーミヤンで長嶺さんと伊澤さんが付き合ってることを聞いた。なんか、本当に良くわからないモヤモヤが心に残った。

納得するような、しないような。可能性はゼロではないなと思ったにしても、2人の心情が本当に読めなくて理解が追いつかなかった。きっかけはやっぱり旅に行ったことと、2人で通話していた時間が長かったかららしい。うーん。名古屋の彼氏とも伊澤さんは別れたという。

正直カップルとしての2人を全然想像できなかったのかもしれない。デートしたり、キスしたりというところが全く浮かばないし、むしろ浮かんで欲しくないとまで思った。恋愛ってなんだっけと思った。2人同士が好き合って、結ばれて、そんな単純なことではないけれど、2人には何か付き合うということに軽さを持っている気がして、自分の価値観とは違うのだろうなと思った。でも大人同士で付き合うってそれくらいのことなのかもしれない。世間的な価値観として将来結婚を見据えて、とかではなく、今暇だから少し隣にいてくれる人が欲しいくらいの感覚なのかもしれない。今が楽しければ良いみたいな。正直でも長嶺さんと伊澤さんは合ってるなと思った。彼氏彼女としてはわからないけど。居心地は良さそうだし、何より男女間のめんどくささが無いように思えた。お互いがめんどくさいことをお互いが求めていないみたいな。

ちょっとこの話はまた後で書こうと思う。今はちょっと整理がつかない。伊澤さんが付き合うきっかけの話について、長嶺さんと意外とサシで話せるなと思って、と言っていた。

 

 後卒制のときに長嶺さんにムカついたことも後で書く。

 

 卒制でみんなで集まって壁を立てたり掃除をする期間が二日間あった。

1日目でだいたい終わっていたが2日目になっても私の奥の壁が完成していなかった。とにかくベニヤ板が届くのが遅すぎた。これからベニヤを切って、9枚打ち付けて、塗るところまで行きたいけど1人では無理なので朝永や井上くんに手伝ってもらっていた。他のブースはほぼ完成していたし、なんならエコフラが尽きるくらい塗りが重ねられていた。3人で壁を作っていると長嶺さんが来て、お前らもそろそろ自分のブースやったほうがいいぞ、と呼びかけてきた。うるせーと思った。手伝ってくれてる人を奪うな。なぜ一番進行が遅い場所から人を減らそうとしてくるのか・・・私は長嶺さんに呼ばれて朝永の壁作るとき手伝ったりしてたのにな・・・悪魔か?と思いつつ井上君はキープし9時ごろまで手伝ってもらった。9時なので井上君には帰っていいよといいその後は1人で壁塗りを黙々とした。もうエコフラも尽きたし終わったなと思った。テキスタイルに借りた一番大きい脚立の昇り降りがめちゃくちゃキツかった。1人で塗ってる間、長嶺さんと朝永と井上君の談笑がずっと聞こえてきて辛かった。